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遺 影

更新日:2021年12月17日


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お袋は、百歳二か月で天命を全うした。納骨も済ませ、

三十年ぶりに 享年八十一歳の親父の横に座ることとなった。

我々息子三人にとっては、無事お袋を送ることができ誠に

目出度いことである。

しかし、これで終わりではない。主がいない岐阜県中津川の

実家には、 親父とお袋の荷物がしっかりと残っている。

勿論、我々兄弟の写真や思い出の 荷物もある。

弟二人は関東に居り、世間一般には名古屋の自分がこの荷物を 片付けなくてはいけない

ことになる。これは大変である。

そこで、「兄弟三人が元気な内は、一年に数回実家で顔を合わすようにしよう!」と提案し、 この荷物の整理を二人にもさせようと、長男である私は企んでいる。

特別な骨董品はなく、名古屋博物館に展示されているような戦後の物は探せばあるような 気がするが、はっきり言って3人とも持って帰りたいような物はない。

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辺りを見渡し、床の間に目が行った。

お袋の遺影と目が合った。

八十歳位、いや、七十五歳位の写真かもしれないが、

お袋が自分で用意 したものである。

七年前、九十三歳で中津川から名古屋の施設に移ったが、その時、ベッドの 下に白い死装束と一緒に写真が置いてあるのを見つけたのだ。

私たちには何も言わなかったが、七十歳から独居生活を始めて何年か経った時、子供たちに迷惑を 掛けないようにと、準備したものと思われる。

当然、葬儀にはこの若い笑顔の遺影を飾ったが、仮に私がお袋の多くの写真から探し選んだとして も、これに優るものは見つけられなかったことと思う。

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次は、自分の番である。

お袋に見習って、遺影を作ることにした。

今の糖尿病治療でやつれた写真は嫌だ。

数年前の写真の中に適した ものがないか、探し始めた。

私は、今の役目柄、写真はたくさん撮る。

しかし、自分の写真は殆どなく、あっても集団の中のひとりで遺影に 適する、これはという写真が見つからない。

パソコンに保存してある写真をあちこち数時間掛け探した。

やっと、数年前の老人会旅行での浴衣で踊っている写真を見つけ、これをクローズアップして 作ることにした。

「カメラのキタムラ」で写真と額を揃えた。

「自分の遺影です。」と言ったら、若い女性店員さんが、「どっか、悪いのですか?」 「いや、どこも悪くはないですよ!」首を傾げながら、写真と額を袋に入れてくれた。

 家に帰り写真を眺めてみた。

 良い写真である。「準備万端、整ったぞ!」

 そう思ったら、吹っ切れたのか、妙に気分が落ち着くのである。

 勇気も湧いてくる。  

 イエィ ! 

 
 
 

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