テレビ番組
- 加藤 誓(ちかい)

- 2021年11月26日
- 読了時間: 3分
更新日:2021年11月27日

家では、「大相撲」は余り見なくなった。モンゴルのお相撲さんがよく頑 張っているがそれがどうだ、こうだではない。それは、立派なことである。 その反面、横綱になりそうな日本人の「華のあるお相撲さん」が なかなか出てこないのが問題である。
食事が良いためか、体型も これ以上は膨らまないと思うほどの丸々のおなかタイプが多過ぎる。
体重を増やせば強くなるわけではない。ここ数年、これはと思う 相撲取りは、横綱にはなったが身体を壊し直ぐ引退、大関にはなったが、懲戒処分。なかなか上手 くいかないものだ。
店のテレビを眺めていたら、両腕と両膝と両足首、計6本の白い汚れたサポーターでの 「横綱の土俵入り」。何とかならないものか。サポーターなしでもできるはず。
勝敗も行司の判定に権威なく「物言い」からビデオ判定である。
相撲の流れを無視し「押し出し」 で、土俵の外に足がつくのと、押し出した力士の手がつくのと、どちらが先かでの判定である。 身体ごと土俵をわり巨体が空中に浮いて落ちるまでの間に、手を付けば負けである。 おかしいと思う。
昔は「かばい手」といって先に両手をついても流れで勝ちであったはず。
「差し違えた伊之助が土俵で切腹しようとした事件」が浮かんできた。
行司の判定というか、その地位をもう少し認めてやってほしい。
明らかな場合は別として、目測では不明な時は、相撲の流れを重要視する行司軍配を優先すべきで ある。ビデオ判定すべきでない。
スポーツとは言え「興行」なのだから、昔の大相撲の雰囲気が 懐かしい。
一杯引っ掛け意見を言う。これが酒の楽しみである。
今年のテレビのことである。
「華のある、二刀流、大谷翔平選手」の活躍を何回も見た。意識して朝 NHK の BS1を見るよう になった。
コロナ禍での灰色をぶっ飛ばしホームラン、やった、今日も頑張るぞ!との気分・・・。 実際には、「今日、頑張る」ことは、何も見当たらないのだが。
楽しいテレビ番組を探し暇つぶしをしようと思うが、なかなか見つからない。
殺人事件のドラマは見たくない。歌番組なのかダンス番組なのか分からない。
くだらない番組の、ひな壇でのクイズ番組、罰ゲーム、ドッキリ番組、バスの乗り継ぎ旅に、 大食い、デカ盛りの番組。お笑い芸人だけが、勝手に喜んでいる番組。
そこで仕方なくニュース番組に切り替えるが、どのチャンネルに変えても同じニュース。 人様の結婚、離婚、それもストーカーに近い捜査報道。
個人攻撃はいかがなものか。
先日報道した意見に、反対の見方が世間に受けそうになると、どの局も一斉にそちらになびく。
全く信用できない報道倫理。イライラし、直ぐチャンネルをガチャガチャ変える。
「どこが見たいの?」 女房が言う。 「どこでもない。」 「じゃぁ、切って!」
仕方なく、自分の部屋に行く。



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