おやじからの贈り物
- 加藤 誓(ちかい)

- 2021年6月8日
- 読了時間: 2分
更新日:2021年7月2日

会議が始まった。
皆、マスクを着用し隣人との距離をあけ、以前より
長いロの字になった会議場である。
窓は少し開けてあり、風に乗って外の音が入ってくる。
会議資料に沿って、それぞれの方が発表をする。
私は資料に目を通し 大きく頷きながら聞いている。
私の発表の番だ。皆に聞こえる様にと大きめの声で
意見を述べる。
遠くの席から、マスク越しに にこやかな目で
質問があった。

私も、にこやかに「そうですね」と答えた。
ここまでは、良かった。
他の方が、難しそうな目をして、質問してきた。
これは、大変だ。おっしゃっていることを把握しようと、
その方のお顔と身振り手振りを凝視し、真剣に耳を傾けた。
しかし、内容を理解することができなかった。

耳に手を添え「もう一度お願いします。」と
言った。
今度は、わっかた。何事もなく、会議は進行していった。
以前より、気付いていたが まだ大丈夫と、たかをくくっていた。

聴覚障害 いわゆる難聴が進んできたのである。
面と向かってなら聞き取れるし、一部聞き取れなくても相手に気付かれない様、相手が笑えばこちらも笑う。聞き取れた単語から、おおよその検討を付けて
会話は無事進行する。
その技術力は、難聴の進み具合に沿って向上した。
しかし、このご時世は、マスク着用で声は籠るし、表情も読みにくい。
まして、3密禁で遠くからの声と外の音。
資料から内容は分かるが、こりゃあ、ダメだ。相手の方に失礼だ。
いよいよ補聴器着用の決心の時が来た。
そう言えば、三十数年前おやじも同じく聞こえている振りをしていたのを想い出した。
久しぶりにおやじの顔が浮かんだ時でもあった。



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