麻雀人生
- 加藤 誓(ちかい)

- 2021年6月2日
- 読了時間: 3分
更新日:2022年6月17日
昭和34年高校1年生の夏、中学の担任の先生から、19時に中学の宿直室に同級生2人と一緒に来るようにと。その時初めて「麻雀」というゲームを知った。

それから、担任の先生の宿直の日は、いつもお呼びがかかった。
先生の暇つぶしに付き合うのだが、やるほどに面白くなった。
夜の外出だが、両親は先生のお呼びだからと安心をしていた。
この先生からは「囲碁」も教わった。この2つのゲームは、
その後 私の人生に、ズーと付き合うこととなった。
「麻雀」は 大学の授業や会社の仕事をサボるのに、そして
先輩、同僚、後輩との親睦や交流に役に立つ 最適なゲームであった。
どこかの検事長と新聞記者の賭け麻雀のニュースが話題となったが、世間では、麻雀は若干の掛け金を含め「チョイ悪ゲーム」の風評がある。
それがかえって、麻雀仲間としての意識をより高めているのかもしれない。
朝10時、藤が丘の「麻雀 国際」に静岡の藤枝から、また三重の津市からそして、もう一人の名古屋 の元会社仲間を迎えゲームが始まった。
10数人以上いた 名古屋定例会メンバーの 最後の4名である。
「おばちゃん、生ビール大!」藤枝が、叫ぶ。
彼は、その後18時まで13杯飲み続けるのである。もう一人名古屋が「ウィスキー、
水割り!」津市が「冷酒!」私も「焼酎、ロック!」と皆負けてはいない。

もう一人名古屋が 突然真面目顔で「昨日、錦三のクラブに行ったらね。」と話しかけてきた。ハハーン、彼は聴牌(てんぱい:上がりできる体制)したのだ。
津市が急に早く牌を強く捨てた。彼も、間違いなく、聴牌したのだ。
昔から「聴牌たばこ:聴牌するとたばこを吸うくせ」は有名である。
考え込んだり、軽口をたたいている間はまだ聴牌していないのだ。
いつものメンバーだと、これらの癖を観察すれば勝つ確率はグーンと上がる。
ただ、自分の癖は分かっていないし 教えてもくれない。
藤枝が、トイレに行った。大ジョッキー3杯目からは、直ぐトイレ、トイレでゲームが
中断。

もう一人名古屋も利尿剤服用中のため、又トイレで ゲームが中断。
津市が「もう、二人とも 尿瓶 持参せよ!」といいながら
連れション!ワイワイがやがや! この1ケ月で得た 仲間の情報や 元の会社の人事情報などを自慢げにしゃべる。 たわいもない話に花が咲く。


18時からは、別席で酒付き夕食とカラオケ付スナックのはしご。
藤枝の最終電車に間に合う22時まで皆、付き合う。
毎月1回の楽しみな日で、あった。

昨年の秋、津市の奥さんの体調が悪くなり、もう一人名古屋は持病の 慢性心不全の症状が進み休会をしていたが、とうとう藤枝が、酒以外の病気で5月末に亡くなってしまった。
仕方なくインターネット麻雀をしているが メンバーの癖も、トイレ
中断も、バカ話もなくつまらない。
コロナ禍で麻雀は禁止となっているが、禁止でも休会でもなく、定例会がなくなったのだ。
・・・どうしよう・・・?



コメント