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麻雀人生

更新日:2022年6月17日

昭和34年高校1年生の夏、中学の担任の先生から、19時に中学の宿直室に同級生2人と一緒に来るようにと。その時初めて「麻雀」というゲームを知った。

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それから、担任の先生の宿直の日は、いつもお呼びがかかった。

先生の暇つぶしに付き合うのだが、やるほどに面白くなった。

夜の外出だが、両親は先生のお呼びだからと安心をしていた。

この先生からは「囲碁」も教わった。この2つのゲームは、

その後 私の人生に、ズーと付き合うこととなった。


「麻雀」は 大学の授業や会社の仕事をサボるのに、そして

先輩、同僚、後輩との親睦や交流に役に立つ 最適なゲームであった。

どこかの検事長と新聞記者の賭け麻雀のニュースが話題となったが、世間では、麻雀は若干の掛け金を含め「チョイ悪ゲーム」の風評がある。

それがかえって、麻雀仲間としての意識をより高めているのかもしれない。

朝10時、藤が丘の「麻雀 国際」に静岡の藤枝から、また三重の津市からそして、もう一人の名古屋 の元会社仲間を迎えゲームが始まった。

10数人以上いた 名古屋定例会メンバーの 最後の4名である。

「おばちゃん、生ビール大!」藤枝が、叫ぶ。

彼は、その後18時まで13杯飲み続けるのである。もう一人名古屋が「ウィスキー、

水割り!」津市が「冷酒!」私も「焼酎、ロック!」と皆負けてはいない。

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もう一人名古屋が 突然真面目顔で「昨日、錦三のクラブに行ったらね。」と話しかけてきた。ハハーン、彼は聴牌(てんぱい:上がりできる体制)したのだ。

津市が急に早く牌を強く捨てた。彼も、間違いなく、聴牌したのだ。

昔から「聴牌たばこ:聴牌するとたばこを吸うくせ」は有名である。

考え込んだり、軽口をたたいている間はまだ聴牌していないのだ。

いつものメンバーだと、これらの癖を観察すれば勝つ確率はグーンと上がる。

ただ、自分の癖は分かっていないし 教えてもくれない。

藤枝が、トイレに行った。大ジョッキー3杯目からは、直ぐトイレ、トイレでゲームが

中断。

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もう一人名古屋も利尿剤服用中のため、又トイレで ゲームが中断。

津市が「もう、二人とも 尿瓶 持参せよ!」といいながら

連れション!ワイワイがやがや! この1ケ月で得た 仲間の情報や 元の会社の人事情報などを自慢げにしゃべる。 たわいもない話に花が咲く。

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18時からは、別席で酒付き夕食とカラオケ付スナックのはしご。

藤枝の最終電車に間に合う22時まで皆、付き合う。

毎月1回の楽しみな日で、あった。

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昨年の秋、津市の奥さんの体調が悪くなり、もう一人名古屋は持病の 慢性心不全の症状が進み休会をしていたが、とうとう藤枝が、酒以外の病気で5月末に亡くなってしまった。

仕方なくインターネット麻雀をしているが メンバーの癖も、トイレ

中断も、バカ話もなくつまらない。


コロナ禍で麻雀は禁止となっているが、禁止でも休会でもなく、定例会がなくなったのだ。

           ・・・どうしよう・・・?         

 
 
 

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